会報NO.127掲載



母のリハビリ入院を通して

(太田 淳代さん) 

 

昨秋、母からパーキンソン病のリハビリ治療があると聞いたとき、母は入院に強い抵抗を感じておりました。私なりに、パーキンソン病について少ない知識の中ですが、症状を抑える服薬のみよりも、醜状が軽度の今の母がリハビリ治療を受けることで、良い効果があると思い、入院を薦めました。

 

昨年末。母は、国立宇多野病院に一か月間リハビリ入院を致しました。リハビリ見学を兼ねて私は週に約二度、入院先に行く中で、私が知らずにいたパーキンソン病患者の個人差はあれども特徴的な症状や、患者の不安を知ることができました。それと共に、主治医の水田英二医師をはじめ、看護師さんや理学療法士・作業療法士の先生が熱心で温かく時には厳しく、患者を見守ってくださていることを知りました。母が今回受けたのは『LSVT BIG』が主な症状に合わせたリハビリでした。

 

理学療法の一時間の全身運動は、スポーツ選手並みのハードさがあります。開始時は思うように両手を動かせない母が、一週間後には動かせるようになっている姿に、よく頑張っているなと感心致しました。そして何より、理学療法士の前田香菜先生と和やかに過ごしていることは、患者家族にとってはうれしい事でした。

 

 

今回の母のリハビリ入院を通して、初めて抱いた思いがあります。それは、今後は出来る限り母と電話連絡を取り、時々一緒に出掛けることや、通院に付き添うことです。どんなに良い服薬や、リハビリが開発されても、患者が抱える不安はぬぐえません。患者家族は特別何ができるのかを考えるよりも、家族にしか抱けない安堵感が患者の不安を和らげる。それによる病気への良い効果があると私は思います。この大切さにようやく気付けたのは、今回のリハビリ入院と母の頑張る姿からでした。


デイケアの一日

(朝加 明宜さん)

 

私は2014年 秋、70歳の誕生日ころから1か月に2回、介護老人保健施設のデイケアを利用するようになった。腰痛と体が硬いのでリハビリができて、サービスの時間が長い所を候補に挙げた。介護者には少しでも気分転換をしてもらうことができる。ここでは、ある日のデイケアについて書いてみた。

 

8:40頃、担当者よりまもなく自宅へ到着の電話でデイケアの始まりです。担当者(介護師さん)が私の体調、連絡事項などを確認する。私は座席まで誘導され、ミニバンに乗車。シートベルトを着用し、上履きになる。両手を消毒する。施設内に入ってからも、飲食後やトイレの後など何回か実施する。

 

到着したら従業員は明るく大きな声で歓迎し、一人ずつ名札の置いてある席へ案内してくれる。この席が今日、一日の指定席である。くすりは看護師が保管し、「お薬手帳」の記載に従って服用する。持ち物は手元で使うもの、着替えなどを仕分けてくれる。

 

リーダーの挨拶でいよいよ、一日の始まりです。まず、血圧、体温、脈拍測定後、座位で嚥下体操や上半身の体操をします。その後、順に呼ばれて朝風呂に入ります。衣服の脱着、頭や身体を洗う作業は職員が担当し、脱衣室で着替え用の椅子からキャスター付きの風呂用椅子に座り、シャンプーなど終了後、椅子ごとリフトに乗せられ、足が伸びて背もたれが45度程後ろに傾いた状態で湯船につかる。これがすこぶる気持ちが良いです。風呂上がりに、お茶を一杯いただきます。整髪もしてくれます。

 

利用者が多く全員の入浴までは自由時間です。そうこうしていると昼食です。昼食の量は自宅の6~7割です。魚類は骨が取り除いてあり驚いた。

 

さて、リハビリはONの状態時に行われる。リハビリ室でベッドに仰向けやうつ向けになり、理学療法士が痛むところを両手でゆっくりと、徐々に体重をかけて筋肉をほぐす。その後、腕、膝、足、股関節の屈伸があり、白線の引かれた床で歩行訓練をする。約20分のメニューです。

 

午後は再び体操から始まり、カラオケのイントロ、漢字の読み方、地理や歴史などのクイズ大会、職員考案のオリジナルゲーム、カラオケ大会など多彩な催しがあり、きよしのずんどこ節の力強いリズム体操で施設内のプログラムが終了する。

 

帰りは乗車すると、職員は一人一人に、笑顔で手を振ってくれ、まるでホテルの出発光景である。16時すぎに帰宅し、従来の生活に戻った。 

※なお、施設により、サービスの内容は異なるようです。


パーキンソン病と診断されて

(内山とみ子さん)

 

パーキンソンと診断されて二年半になります。直腸癌で手術を受け障害者となって十年が経ち、その生活にやっと慣れてきた頃でした。母・叔母・弟を癌で亡くしていたので癌に対してはある程度覚悟のようなものはあったのですが、パーキンソンと診断された時は「なんで?」という思いがいっぱいでした。

 

身体を動かすことが好きでバレーや卓球等スポーツは何でも得意だったので、年齢よりも若く見られていた私には、この病気は受け入れがたいものでした。夫を亡くした後勤めた会社は六十五歳まで頑張るつもりでいましたが、病気の診断がショックで、何をする気力も体力も無くなり退職しました。

 

しばらくは外出もせず、鬱状態が続きましたが、友の会主催の運動療法や音楽療法の講習会に出掛け、少し上を向けるようになりました。

 

宇多野病院でBIGのリハビリを受けて自分なりのストレッチを取り入れたところ、それなりに効果が出て、以前の私に近づきました。

 

でもそこに落とし穴がありました。

 

元の私にもどった? 何をしても大丈夫? 

 

それからは、BIGの体操・筋トレ・卓球・ボーリング・歩行練習等、何でも一生懸命になる性格が災いして、頑張りすぎてしまいました。いままで楽しかったスポーツが義務のようになって、頂上のない山に登っているようでした。

 

その頃からわずかな段差につまずき、気づかないうちに前かがみの姿勢になっている姿に病気の進行を感じました。

 

そして昨年十一月末、少し早い忘年会に参加し、いつもの調子でビールを飲んだのですが、足に力が入らず壁に額をぶつけてしまいました。翌日、目の周りが内出血でパンダのように黒ずみ、鏡を見るたび四谷怪談のお岩のような心境でした。人と会いたくなくて、家に閉じこもった毎日で、仏壇の夫に向かって、早く迎えに来てと願う毎日でした。

 

年が明けてようやく目立たなくなりましたが、この病気の怖さを認識しました。

 

これから先、私にどれだけの時間が残っているか分りませんが、孫の顔を見ることができなかった夫が私に残した宿題だと思って、この病気と上手に付き合っていく方法を見つけたいと思っています。


幻覚・幻想になやむ  病病介護日誌より

(石川 ひろしさん)

 

妻はP病と診断されて約10年です。

 

2014年11月中旬、妻は寝床から起きあがれなくなった。一人で歩けなくなった。そのうえ、身体が左へ傾いてしまう。食事の時も、前かがみになりながら左へ傾くので、テーブルに顔がくっつくような姿勢でものを食べる。どんなに引き起こしても直ぐに左に傾いて倒れるようになる。トイレもひとりで行けなくなった。

 

1週間前までは、一人でトイレへも行き、風呂にも一人で入れた。歩行器の手押し車をおして短い距離なら外歩きもできた。それが急に(数日のうちに)全く別人のようになってしまった。顔色も悪く、笑顔も無くなった。身体だけでなく表情までこわばったようになっている。

 

11月20日、主治医の診察。そして、その翌日入院。

 

(2014年12月17日)

一昨日病院へ行った時のこと。

ケータイが使えないと言うので、主治医の先生と二人で、なぜケータイが使えないのかを聞いた。妻は、数字の上にいろんな文字が見えて、操作ができないと言う。言っている意味がよくわからなくて先生と二人でいろいろと質問をするが、答えがかみ合わない。しかし、ようやく言っていることがわかってきた。どうもケータイの画面もキーボードも幻覚か幻視でおおわれて、その幻視にいろんな文字や絵が出てきて画面やキーボードのうえにかぶっていて、電話を掛けようとしても相手のアドレスもどうして探していいのかわからないのだ。また、1から9までのキーもどこにあるのか見えていない(幻覚で別のものが見えている)ということのようだ。・・・・これは、相当なショックであった。

 

これまでも、病院の窓から見える景色が普通に見えていないことがあるとか、人がいないのに「あのへんに人がいる」といった幻覚を、幻覚だと自覚して話していた。私が車椅子を押していると、車椅子に乗った妻が、病院の廊下がくねくねと波打つような状態に見えるのですごく怖いと言ったりしていた。しかし、この時もこれは幻覚症状なのだと自分で分かっているので、怖いと言っても本気で恐れているようではなかった。だが、ケータイの画面という、すぐそばで見ているものが異なったものに見えるというのは尋常ではない。こんなことは今まではなかった。これは恐ろしいことだと思った。

 

それと、この日はジスキネジアがひどくてリハビリも出来なかった。身体を硬直させ、首を後ろへそらせ、全身をがくがくと震わせる。このため、歩く練習もできなかったのだ。トイレへ行くときも、ベッドから車椅子に乗せてもらうのに、やはり身体を硬直させるので、看護師さんは「大丈夫、怖くないからね」と言って、気持ちを和らげ身体のこわばりをほぐそうとしていた。車椅子に乗せるのも一苦労だ。トイレの中でもこういう状態がおこるということだった。

 

昨日は私自身の身体の検査で京都桂病院へ行った。半日以上かかった。ガンの転移がないかどうかの検査だ。CTスキャンと骨シンチという検査だった。結果は18日にわかる。(後で分かった結果は、前立せんがんの対策として、年明けから放射線治療を2か月続けるということだった)。

 

(2014年12月26日)

お正月くらいは家で過ごさせてやりたい。こう思って、昨日は介護タクシーの会社に電話をして相談した。それから病院へ行って12月31日と1月1日の外泊のお願いをした。主治医の先生は、寝起きやトイレなどの介護を出来るのかと私に聞いて大丈夫なら許可してもいいと、看護師さんに言ったということだった。私は、大丈夫と答えて外泊許可の用紙にサインした。しかし実際は、大丈夫かどうか自分の身体のこともあり(腰痛が持病)、不安ではあった。お正月は家で過ごせると喜んでいる妻を見て、あえて大丈夫、大丈夫と安心させることにした。

 

介護タクシーという便利なものがあるとは今まで知らなかった。これを知らなければ、お正月の一時帰宅は実現出来なかった。

 

(2014年12月28日)

今日は妻の状態はだいぶ良いようだ。冷たい無表情の顔ではなく、笑みも普通に近い表情だ。揺れ(ジスキネジア)がほとんどなくなっている。ウソみたいだ。入院する前も、揺れがひどく、安定しづらくてよく転んでいた。今日は、ベッドにまっすぐに座っていられる。何もつかまらずに姿勢が保てるなんて、これもウソみたいだ。妻は、薬を減らしたのが良かったのだと言った。薬を減らしたために幻覚も非常に少なくなったらしい。だから、自分でやっと電話できるようになったと、よろこんでいた。

 

(2014年12月29日)

わが家はベッドがなく、畳の上に布団を敷いて寝ている。しかし、今度はベッドを置かないと、ぼくの介護で起き上がらせるのはつらいだろうと思った。そこで、介護支援の会社に電話をして、臨時にベッドを設置していただけないかとお願いしていたのが、OKで、今日はベッドの据え付けに来てくれた。ベッドを置くスペースを作るために、部屋の配置換えなどやや力仕事をまじえて一人で悪戦苦闘した。

 

元日に妻がわが家で過ごすのだから、おせち料理とまではいかなくても、お正月気分のでるようなものを何品か作る準備をした。

 

(2014年12月30日)

病院へ行くと、妻はひきつったような顔で、「看護婦さんとけんかをした」といった。そして泣き出した。とぎれとぎれの言葉の断片をつないで推測すると、何か理不尽だと思えるような仕打ちを受け、文句を言ったが、言い返されたか何かで怒りが爆発したようだ。「ようだ」としか言えないのは、口もあまり開かないでぼそぼそと言うのが半分以上聞き取れないためだ。泣いたのは、「我慢をしなければいけないのに、感情を抑えられないで、子供じみたことをした」といった反省の気持ちと、まだ収まらない「口惜しさ」が混じっていたのかもしれない。

 

同室の方が「今朝から朝食も昼食も、何も食べないし、ものも言わない」のだと教えてくれた。気分転換にと思って、車椅子に乗せて、売店へ行った。豆大福を買って食堂へ行って、二人でそれを食べた。それでだいぶ機嫌が直ったようだった。「今日はハンストをしていたんだろう。それなら食べてはいけないよ」と言うと、「ハンストは3時で中止した」と言って笑っていた。

 

(2015年1月3日)

2泊3日の妻の帰宅は終わった。元日は、お屠蘇とお雑煮をおいしそうに食べてくれた。

私は、くたくたに疲れた。とくに妻をトイレに連れていくのは一番体力と神経を使った。リハビリパンツと尿漏れパッドをはかせるのが、大変だった。看護師さんたちがこんな重労働を明るい顔をしてやってくれているのに改めて感謝したいと思った。ベッドを置いたのは正解だった。寝起きが楽になった。

 

1月2日に妻を病院へ送り返して、また一人暮らしに戻った。

 

歩けるようになって早く家へ帰ってきてほしいと、毎日思っている。

 

 (2015年1月20日)

今は幻覚があまり出ないようだが、幻覚がひどかった2~3週間前のことを話してくれた。実にいろんな幻覚があるのものだと、驚いたので記録しておく。

 

★病状などの日誌を書くつもりでノートを病院に持ち込んでいるが、このノートを開くと地図のような模様が見えると言う。一面全部に模様が出ているので、白紙のところにメモを書こうとしたが、どのページもすべて地図様の模様が書いてあるのでメモができないと言う。私が見るとどのページもすべて白紙であった。

 

★壁には、楽しそうな絵がいっぱい描かれていると言う。どういう絵か私にはわからないが、たぶん幼稚園か保育園で壁を飾りたてるようなものかもしれない。そして、その壁の端の方に人が覗いている、と言う。病室の端の方で覗いている人なぞいるはずがない。

 

★椅子に座っているとものすごく揺れている感じがする。トイレの便座に座っても激しく揺れる。ある日の昼食の時、他の患者さんもいる食堂で「助けて!、揺れがひどいのです。」「こんなに揺れているのに、どうして誰も助けてくれないの!」と大声を出した。だけど誰も何もしてくれなかった。みんなジロジロ私を見ていただけで薄情だと思った、と言う。実際は、揺れていない。トイレの便座も椅子もしっかりしている。

 

★夜中に病室で、良からぬ人たちが集まって毎晩のように会合をしている。きっと悪い相談をしているのだ。また、別の時は、看護師さんが先頭になって、何か大きな人形のようなものを作っている。そのために多くの人を集め、その人らを指揮している。病院の中で夜中に人形つくりなどをしていて許されるのだろうか、と言う。

 

こうした幻覚・幻想で、恐怖や不安が続き、精神的負担から活力が奪われているのが、見ていてよくわかる。何とかしてほしい。

 

(2015年2月20日)

入院から3か月過ぎた。一頃少し足の動きがましになり、階段を上る訓練も始めていた。それが、この1か月ほどは、また歩けなくなった。今度は以前と症状が違って、膝が真っ直ぐに伸びないで、足首もあまり動かなくなった。そのため、立たせても膝をかがめて、つま先立ちで、かかとが地につかない格好になる。足を交互に動かして「歩く」という動作もなかなかできない。足を前に出すのが困難になっているのだ。

 

入院当初はせいぜい2,3か月で家に帰ってこられるだろうと思っていたが、とんでもない誤算だった。桜の季節には帰れるのだろうかと、諦めを伴った期待をしている。

 

私自身の癌治療は、毎日通院しながら放射線治療を続けている。これも3月20日ごろまで続く予定。


ONとOFFの生活

(大原 テイさん)

 

パーキンソン病と診断され、お薬を飲み始めて二月で六年になります。初めは二種類のお薬を飲んでいましたが、現在は五種類になりました。友の会で出会う人から聞くと十年以上お薬を飲むと副作用が出ると言われました。私なりに心配して、これ以上お薬を増やさず、これ以上病気が進まないことを願い、身体を動かすことを考えています。

 

お薬を飲んでONの時は家の中で家事をし、ビック・リハビリ体操をし、足を大股で、手は大きく振って歩くのです。二十分から三十分、出来れば一日に一回から二回歩いています。OFFの時は歩いてみたくても歩くことさえできず、ビック・リハビリ体操も出来ず、悲しいです。

 

一日で夕方の五時、六時がつらいです。でも、六時にお薬を飲むとまたONになり、夕食の作りに入ります。

 

人に全然パーキンソン病とは見られませんが、OFFが私にはあるのですよー と人に言ってみたいが、言ってもしょうがない事。頑張って身体を動かして、OFFの時は好きな編み物をして楽しんでます。友の会の集まり、サロン交流会など、通信が来ればなるべく出席することに心がけている現在です。