会員・家族の声(会報 No.126)

アア驚きの指治療

(K.Kさん)

今年の春から、右手の薬指が腱鞘炎から曲りはじめ、そのうえ、六月半ばに転倒して左手の中指を突き指して変形させ、両手ともに一本ずつ指が中に丸まってしまった。早く直さねば・・と気は急くが、私その時引っ越しのまっさい中。自分の指先などに構っていられない。

 顔は洗面器で洗えないので、両手不自由でずくずくの濡れタオルで顔を拭いて、お早うも、お休みもこれで済ます。

 その御多忙最中の私に、ともかく、左指の分だけでも面倒見よう・・という整形外科の先生がいた。私も時間を何とかやりくりして、手術まで行ったが、これは失敗した。この出来事が七月。八月九日には私は伏見のベストライフ京都に来ていた。

 

 蘇生会整形外科に行く。前の先生からの紹介状を見せると、若い先生に「せっかくだけど、ボクには治せない。手の

指の治療にはこの病院がいいでしょう」とさらに紹介状をくださった。醍醐の共和病院である。どういう訳かこの病院、トイレが男女共同である。一階だけかと思ったら、しつこく二階も三階も同じである。

 

病室の中には洗面台もないので、私が歯磨きをしていたら五人の行列が出来ていた。それ以来、私は朝の歯磨きは五時半にする。さすがに、この時間だと誰も来ない。私はパジャマスタイル。右手の包帯の合間に歯ブラシを差し込んでという不自由な形である。お風呂は週二回。洗濯のみは自分でする。

一見、ベストライフ京都とあまり異ならない入院生活が始まるが、手術後の痛みが凄まじいので、私はなかなか平穏な生活が出来ない。

まず、左手の手術後の痛みである。傷口も痛いが、その傷口のある中指が棒のような板にくくりつけられ、そのこと自体がこの物凄い痛みの原因となっているのだ。私は「しまった」と、この時初めて共和病院と自分の交渉経過をふりかえった。

 

最初に、共和病院の診断を受けに行った日、待合室で隣に座った青年に「腱鞘炎ですか?」と声をかけると「いや、これは自分のミスで親指を切り落としたのです」と、思いがけない重い内容の応えであった。「切り落とした指を持ってね、救急車に乗ったんですよ。いやーもう、その指をなくしたら大変とそのことばかり頭にあって。」青年はやや笑いをまじえた声で言葉をつづけた。「救急車なのに最初の病院で断られ、指は一刻も早くと言われているので、自分はもうダメかと思ったら、二番目によったこの病院でOKがでて先生が診察室に入れてくれた時、感謝しました」。

私はこの恐ろしい話の結末を聞かずにはいられなかった。「ええ、先生にとっては簡単なことでしょう。でも、自分にとっては本当に運が良かった。先生は指を見て、すぐに手術をしてくれた」彼は包帯を巻いた右手とすらりと伸びたしなやかな指の左手を合わせ診察室に拝礼した。「その方が高田先生でしたの」と私は聞いた。切られた指を継ぐなんて…正に神業ではないか! 私が勝手に感動すると彼も同調した。青年は指を継ぐという苦痛、継いだ後の機能回復までの苦痛については何も言わずに話し終えたのだけれど、本当はそれこそ聞かねばならなかった事だった。

 彼の話にボ~としていた私は、自分の手術の期間も聞かず、抜糸の時期も知らず、おまけに装具の苦痛と、その期間も知らなかった。朝夕にもらうロキソニンで、痛みを何とか抑えながらこの手術後の痛みがいかにひどいか、しかし、四、五日で最大の苦痛が終わることなど看護婦に教えてもらいながらの時を過ごし、この中でリハビリが始まった。

 

 指のリハビリは作業療法室という所で行われる。これは、もちろん共和病院のリハビリテーション総合実施の一つである。先生は二名。作業療法士の資格を持ち厚労省の監督下に入る。パーキンソン病の不随意運動もこの中に入るから、ご希望の方は門をたたかれてはいかが?

 さて、私の指は北山先生の手術によって右薬指は八割通り治った。左手、これが問題で、まだ、わからない。(術後二週間経過)リハビリには行った。しかし、その痛いこと、骨身にしみる痛さである。

 先生が左中指をギュッとにぎる。「痛い!」私の悲鳴。この指の背中八針も縫ってある。おまけにまだ抜糸もしていない。「困りますね」女の先生は困り果てて男の先生に救いを求める。「なに…生活に関係してくりゃ、頑張るよ。若い奴なら皆、就職がかかっているからまがった指ではできんからね」。ゆえに、私の指は少しくらい曲がっていても良い・・という判断。しかし、私の中の筋力が、この先生がせっかくくっつけてくれた指をまっすぐにする力に逆らって、ものすごい力で曲がってくる。

 「前のようになったらどうします」女の先生の声に私はハッとする。「それは嫌だ。頑張ろう」。そういう訳で、明日も私はこのリハビリに参加します。

 

 退院は九月十日、この日、抜糸しました。(北山先生の抜糸は普通二週間)普通より早いのですが、私は元気ですからご安心ください。

 共和病院は通院となります。



私の日常生活

(H.Sさん)

拝啓

 初めて一筆書かせていただきます。乱筆をお許しください。

私も五、六年前に「パーキンソン病」と診断されまして、手の「ふるえ」に困っていましたが、現在では何とか字が書けるようになって来ました。

 今は毎週月曜日~金曜日の二日間、カドイディサービスに入っています。朝夕の送迎バスにも車椅子が無しでも乗れるようになってきています。最初の日には色々と心配事もありましたが、それも無くなり、元気が出てきています。お風呂に入り、昼食をいただき、色々なゲームをして遊び、「おやつ」をいただき、17時には家に帰ってきます。車イスは、食事の時に使っています。

 この頃はスーパーへの買い物には手押車を利用し、メガネ店やカメラ店にも途中で休みながら行っています。

 今年も敬老の日にはディサービスで、例えばカラオケやゲーム、トランプ等々、色々なことを考えていただき、喜んでいます。

 先日、私も胃カメラ、エコーの検査を受けてきました。おかげを持ちまして悪いところは無いということで、安心して帰ってきました。

 私は、火曜日は歯科の先生、水曜日には看護師さん、午後より眼科の先生の診察を受け、木曜日は神経内科の診察、月曜日に整形内科を受けています。

 もう五、六年たちますが、眼科が右の眼が悪くなって来ています。

 レキップCR、セレコックス100㎜、レバミピド錠、モサプリド、クエン酸塩水和錠、マーズレン、バイアスピリン1mg、ヘルベッサーR、カプセル、など色々飲んでいます。

 新制度になり、今後のことにもまた色々と役員の皆様にお世話になりますことと存じ、またご相談申し上げることと思います。よろしくお願いします。

 

特定疾患受給者証が変わる事について、京都府支部よりお知らせいただき喜んでいます。先日、お世話になっています先生が早く京都府支部様から連絡をいただいたことに喜んでおられました。保健所からのお話では出来るだけ早く送るとのことでした。

 本当に乱筆お許しください。

 平成二十六年 九月二十五日

起立性低血圧

(T.Kさん)

今年(2014年)3月、普通に歩いていて交差点などで立ち止まった時や、階段を登った後などに、視界が突然真っ暗になり、あっという間に転倒することがありました。1週間のうち二回も続いたので、主治医に相談したら「起立性低血圧、即入院」ということになりました。

私がパーキンソン病と診断されてから、この12月で4年になります。それまでは「上が100mmHg程度」でもともと低血圧でしたので、立ちくらみや目眩は何度も経験していますが、「また来るな」と予兆を感じ、立ったままで対応できる程度で、全く気にはしていませんでした。しかし、今回は予兆がなく突然倒れてしまったのです。しかも、座っていてもコロンと転倒するのにはあきれて失笑するしかありません。このような時の直後の血圧は、なんと「50mmHg台」ということです。「パーキンソン病が進行したり、薬の効果が切れやすくなったりしたときに起立性低血圧になりやすい」とのことで、よくあるケースらしい。

「起立性低血圧」の定義は「起立後3分以内に上が20mmHg、下が10mmHg以上低下する」ことであるとすると、私の場合は血圧低下が異常に大きすぎる。

暫らく入院し、起立性低血圧に対する薬を試してみて、体液量維持のために用いられるフルドロコルチゾン(商品名フロリネフ)が適合し、パーキンソン薬と併せて服用することになりました。転倒するような目眩は少なくなり4月下旬に退院となりました。

しかし、現在の課題はベースの血圧が高くなったものの、低下する度合いは依然として大きいままであることです。食事前150mmHg程度あった血圧が、食事や薬を飲んだ後では70~80mmHg程度まで下ってしまいます。この状態が1から2時間程度続くのです。少し横になれば治りますが、これを一日3回繰り返す。外出したときが特に困ります。

とはいっても、短時間であれば、歩くことはできるし、パソコンも打てるし、食事も美味しく食べられるし、等々と思いなおして、「今回も何とかなるさ」という気持ちです。

起立性低血圧を克服できるとは思いませんが、上手く付き合っていきたいと思います。経験者のご意見やアドバイスがいただけたら幸いです。  

 


蝉しぐれ今ぞとばかり生きいそぐ              常之


 

特定疾患受給に伴うパーキンソン病の薬剤費を考える

(S.Kさん)


散歩中に左足に違和感を覚えてから15年が、病院の神経内科を受診・入院しパーキンソン病と診断されてから13年が経ちました。受診当初、薬はメネシット1錠から始まり、その後症状が進みそれに対応するためLドパーの数が増えたりアゴニストが追加されたりし、現在私は下記のような薬を飲んでいます。特定疾患の対象でそれほど意識しなかった、下記の薬がこれほどの金額とは。この文章を書くまでは。

 

・メネシット配合錠100

・ミラぺックスLA1.5

・ニュープロパッチ13.5g(貼薬)

・トレリーフ錠2.5mg

・エフピーOD2.5mg   

 

 5種類  3250円/上記5種類の薬を11錠ずつ使用すると

 

ただし、私の場合1日に複数個飲んでいる薬もあり実際は、

5種類4110円/1日です。

あと薬剤技術料52円/1日で合計4162円/1日の薬剤費で、1か月では4162円×30日=124860円になり全額特定疾患で支払われ患者負担はありません。特定疾患から外れ3割負担となれば124860円×0.337458円の負担額となり、残り7割は保健組合から出るということになります。私はこの特定疾患、健康保険制度に感謝しております。しかし、この病気は徐々に進行することを考えると、さらに薬の量・種類が増えていき薬剤費が増大する傾向にあります。そのため特定疾患の対象でなくなれば、いずれ負担できなくなり、そのような人が多数でてくることが考えられます。

今回、難病医療法という新法ができ特定疾患の種類・対象の難病が増え法で予算の裏付けがされたことは喜ばしいことです。

さらに種類や対象を増やしていくためには、すでに特定疾患を受給されている人の薬剤費を所得によって支払う範囲・金額を見直すとか、ジェネリック薬品を活用することができる場合はそれにするとか、薬を無駄にしてないか、適度なリハビリ体操等で運動機能の低下を緩やかに保つようにしているか等により、全体的に患者の薬代を中心に可能な範囲で医療費の負担や薬剤費の見直しへの取り組みを模索し、政府に対しては私たちの取組を訴え、予算の増額による新規特定疾患対象者の増加へつなげていくため、私たち特定疾患の受給者も可能な範囲で協力すべきではないかと思います。

動けるうちに歩こう

(K.Eさん)

パーキンソン病と名前を付けられたのは1年前です。

それまでは非常にアクティブに生きて来ました。アウトドアーの会に入り世界中を旅していました。ニュージーランドでは南も北も2年に渡り山登りをしました。アフリカも黄熱病の注射をうちサヴァンナでキャンプをしました。山小屋を借りてタスマニアディヴィルやウォンバットに会いました。カモノハシだけ会えませんでした。クレイドル山も登り、又中米のコスタリカへケツアールを観に行きました。

 ところがよく後へと転ぶことが増えました。極め付けは勝手口で洗濯物を干すときにすかされて転び庭石に頭を強打しました。すぐにCTをとりましたが「大丈夫」とのことでした。戸を閉める時とかよく転ぶことが増えました。他の病気でお世話になっている医師に言っても「ああそう」でした。が京大病院で婦人科の検診を受けた時、神経内科の松本医師を紹介されました。その後検査入院を経て現在にいたりました。今はマドパー錠毎食前各1錠、朝9時ごろレキップ錠8ミリ1錠・2ミリ2錠錠を飲んでいますがあまり芳しくなく「レキ」のノルディックウォークのステッキに縋っています。一度は落ち込みましたが動ける内に歩こうと頑張っています。

昨日は蒜山へウォーキングのツアーに、役に立つ内はと町内の配食ボランティアに行き、料理教室と短歌教室へも行っています。山の畑の草取りも座り込んでやっています。何時まで生きているかわかりませんが生きている限り頑張ります!! 

辛いこと!! 自分で運転できなくなり自由に動けないことです。自分の足で無いような感覚。疲れやすいこと等 いっぱいの不満は押しやり、生きて行きます。

どうぞ宜しくお願いします。

「オーダーメイドがいいな」

(K.Kさん)

二十二年前、パーキンソン病と診断された時、「パーキンソン病は、薬によってコントロールができる」と楽観的に見ていた。症状が出るたび我慢せず薬を希望し、新薬も治験薬も飲んだ。覚えているだけで、ECドパール、シンメトレル、パーロデル、コムタン、FP錠、カバサール、ペルマックス(これは目まいがひどく二週間でやめた)、リボトリール、インデラル(震え止め)、便秘になりやすいとプルセニド、等々。約九年間飲み続けた。また、病気が進行してくると、増量していった。

 シートから出すのが大変で、薬瓶を持って行って、「ここへ種類別に入れてほしい」と言って断られたことも・・・・。

 結果、心臓が悲鳴を上げ、心臓弁膜症で弁置換術を受けることとなった。同時に心臓に影響を及ぼすと薬(パーロデル、FP錠、カバサール、インデラル)をやめた。術後、心臓の薬も加わりなかなか体調がもどらず、どの薬が効いているのかどうか自分でもわからなくなってしまい、希望して入院し、薬の整理を試みた。 最低限の薬を入れて点滴が始まる。想像以上に苦しかった。身体中が痛むが動けない。焦りと不安でコールを、わずかに動く右手先で押しまくった。さらに新たに薬も試みたが、そんな状況では効果もわからない。ECドパール、リボトリールだけ飲んで退院。でも、おかげで多少薬の整理ができたと思っている。どの薬でどうなるかが何となくわかるようになってきた。

 現在は、ECドパール6錠、シンメトレル3錠、ミラペックス1錠、リボトリール二分の一を4回と、以前より量を少なく回数を増やして服用している。それと心臓の薬である。

 ちょっと、ミラペックスが調子よかったのでもう1錠追加したら『夢の中で討論して声を出している』気がして、家族からも「呻き声をあげている」と言われた。自然に呻いてしまう症状が出て「これはあかん!」とミラペックスを1錠にして、ビ・シフロール1錠に変えた。

 まだまだ薬の副作用や日内変動、震戦がある中で、どこをベストと思うかは難しい。今の薬の段階は服でたとえれば、サイズの違う既製服ではないかと思っている。個人の症状にピッタリと合った量をひとまとめにしたオーダーメイドの薬があったらいいのに・・・と考えてしまうのは私だけだろうか。

 近い将来、iPS細胞での移植が言われているが、手術の難しい人もいる。iPS細胞で創薬の研究も進んでほしいと、お気に入りのフリーサイズの既成服を着て、ドクター、援助者の方々や家族に依拠しながら待っている。「まっ、とりあえず、イージーオーダーでもいいか」と思ったりして過ごしている。もちろん、安価で。

 

お問い合わせは

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全国パーキンソン病友の会

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