会員、家族の声(会報 No.125)

我が家も老老介護です。

(S.Hさん)

  夫(82歳)を、妻の私(73歳)が介護しています。発病したのは、約8年まえです。初めの数年間(4年間位)は、それほど不自由なく、二人で貸し農園で野菜作りを楽しんでいましたが、やがてそれも難しくなり、今では車椅子生活です。

 

 発病がわかってからすぐに入会したP病友の会では、特に医療講演会で、色々なことを学びました。しかし3年ほど前からは、体力的に講演会へ行くこと自体が難しくなり、今では会報での講演会の報告を楽しみにしています。

 

 3年ほど前からは、入浴、トイレ、歩行等に手助けが必要になりました。一番困ったことは、予定通りに物事が進まないことです。○○までに身支度をして出かけようとしても、食事の時間が長引いたり、急にトイレへ行きたくなったりで、予定通りにはいきません。結果、介護者がイライラする。それで工夫としては、予定は一日に一個にするということで対処することにしています。

 

 私のように介護することだけが仕事という人はいいのですが、親御さんを介護している現役世代の方は、どんなにご苦労なさっているかと、推測いたします。

 

 体力的には大変だけど、介護というのは、時間にゆとりのある現役を引いた高齢者がするのが適しているのかな、などと思います。

 

 介護していて一つ思うことは、手を出しすぎない、ということです。以前どこかで「小さな親切は、大きな不親切」という話を聞いたことがありますが、本当にその通りだと思います。でもこれは、判断がなかなか難しい。 

  

 我が家は夫婦の好みが一致している部分が割合多いです。昔元気な頃一緒に登山を楽しんでいましたが、行けなくなってしまった今、一緒にテレビで楽しんでいます。昔行ったことのある山が出てくると楽しいです。

 

 その他に、地デジ移行後テレビを買い替えたら、録画がとても簡単に、多量に出来るようになっているのに驚きました。近頃では、放送大学の番組の中から、面白そうなものを片っ端から録画して、その中から特に興味の持てるものを見ています。二人でああでもない、こうでもない、この先生は話し方が上手だ、下手だ、などと勝手な批評をしながら見ています。

 テレビといえば、昔子供に「テレビばっかり見ないで、勉強しなさい」としかったことがあります。しかし近頃では、「テレビを興味を持って見る」というのは、かなりの能力なのだ、と思うようになりました。以前見学に行った老健の施設で、大勢の入所者がいて、その前のテレビがついているけれど、それを見ている人は殆どいなかった、という経験があり、不思議に思ったことがありました。その後、父が晩年好きだったテレビを全く見なくなったのを見 て、「テレビを見る能力」を感じました。

 現在、夫はその「能力」はまだ十分あるようですので、一安心しています。

  

  今は暑くて高温注意報が出たりしているので、殆ど散歩に行けませんが、少し涼しくなったら、また車椅子で近くの小泉川岸の散歩道へ出かけようと思っています。

 

2014.8.5

 

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私の人生どうなるの

(Y.Hさん)

  

パーキンソン病の症状を感じたのは、不思議な縁なんでしょうか。現在の事務局長の職場へコンピューターの導入作業で行っている時でした。明日本番という夜に、右手に異常が起きました。それから54歳で退職するまで約15年、苦しみと悲しみと馬鹿らしさにみちたサラリーマン人生でした。そして月日は立ち、現在62歳となりました。

 

 送られてくる同窓会の知らせに対する断りの返事。会社の同期会の誘いの断りの返事。好きである音楽会への断りの電話。葬式、結婚式の知らせにおどおどしている自分の姿。

 

 新しい薬、新しい治療法が出るたび、今度こそと期待するがまたも裏切られる苛立ち。症状は改善されるが、劇的な改善までいかない現状。こんな繰り返しの闘病生活が20年以上も続いていることに対する可笑しさと苦しみを誰か的確に周りの人に伝えてください。

 

 最近の生活を紹介します。週2回の宇多野病院からの訪問介護と週1回のデイサービス、これが、孤立しそうになる私の精神を元に戻してくれる外の世界との接点です。それと家に誰もいない時15分でヘルパーさんが駆けつけてくれる24時間緊急サービス用のコールボタンとテレビ電話が私のlife-lineです。

 

 難病という厄介で変な奴に取りつかれて生きていくことが私の人生の意味なのかと問いかけても答えは返ってきません。死の恐怖がない薬の効いているときは普通に動けるという病気の特徴が生活の中に二人の自分を作り出します。

 

この不思議な生活の時間の中で生きていく私の人生はどうなるの?

 

 以上です。  パーキンソンレポート2014.

 

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外へ出て歩きたい

                            (K.Tさん) 

 

私が、八年ほど前に頭痛が酷く、神経内科に受診していまして、その時に何気なく、右手が使いにくいと言いましたところ右手を動かしながら触診してくださいました。右手が固くてパーキンソン病か症候群かもしれないと言われ、イーシー・ドパール1.5ミリ、ビ・シフロールを出されました。

 

 それから六年ほどなにもなく、右手が使いづらいので字が書きにくいという程度で、振えもなかったので、安心していました。

 二年前、66歳の時、腰が悪くなり手術を受けることになりました。すべり症とのことでした。手術をして半年ほどは快方へ向かいましたが、半年ほどして重みが徐々にひどくなりました。腰の手術のせいで重いのだと思っていましたが、整形の先生は、腰はしっかり回復している、大丈夫だと言われました。

でも、腰が日に日に重くなり、一年ほどたちますが、歩きづらく家の中を歩くのがやっとの今日この頃で、精神的に参っている次第です。 

 

 神経内科のほうではまだ症候群で、パーキンソンには近づいてきていると言われましたが、腰の重さ痛みしびれが酷く、パーキンソン病と腰の手術の後遺症がミックスされているような。

 

 今の一番の願いは、歩くことです。外では危ないので、歩けないのです。友の会の方に、いろいろとご相談させてもらいに行きたいのですが、外出し公共の乗り物には乗れないので、行きたいのは山々ですが行けません。

 

 腰のリハビリは、仕事だと思い、週一回行っています。先生曰く、カチカチだそうです。薬は、イーシー・ドパール1.5ミリ、ミラペックス1.5ミリ、エフピー5ミリ服用していますがオン・オフがはっきり出ないのです。

 

  (右手が使いにくくつたない文章で申し訳ございません)

  

 追伸

 

 友の会の皆様方、多くの活動をされていることに、感謝の気持ちでいっぱいです。

  これからも宜しくお願い申し上げます。

 

 

パーキンソン病を患って十年

(C.Nさん)

 

 

 パーキンソン病と診断されて最初は、自分なりに葛藤しましたが、如何ともしがたく、いつしか受け入れていました。当初五年くらいで歩行が困難になり、車椅子生活になりました。

 

 その前後からON・OFFが激しくなり、飲み薬(朝・昼・15時・夕の4回)や服薬後の食事が思うように取れなくなり欠食・欠薬が頻発しだしました。当然体力は落ち、パーキンソン症状が強くなるばかりでした。

 

 仕方なく経口栄養剤「エンシュア・H」の世話にもなりました。そんな二年前、主治医より服薬できなければ処方の仕方がない故「胃ろう」をやりませんか、との提案を受けましたが踏み切れず、約一年が過ぎた昨年七月、同主治医から「アポカイン」というOFFを緩和する皮下注射ワクチンが発売されたので使ってみませんかとの教示を受けました。

 

 これを注射するとOFF状態にあっても約20分~30分でON状態にもどり、普通の生活(効果は約2時間前後)に戻り服薬・食事ができるとのことで、「アポカイン注射」を始めました。果たして効用通り服薬・食事ができだし、症状も緩和し体力も戻ってきました。

 

 そのおかげで二年前「胃ろう」で悩んでいたことが嘘のような今を過ごしています。

 

(但しアポカインは一日五回以内しか注射できません。現在一日二回前後使用しています)

 

 今後は山中教授のiPS細胞に望みを持って、パーキンソン病と取り組んでいきたいと思っている昨今です。

 

 追・手がふるえて字が書けないため私・夫が代筆いたしました。

 

 

 

 

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野菜作りは生きがい

 安全でみずみずしい食材、そして味へのこだわり

 

 病歴10年以上で、OFFになるとまったく動けなくなってしまう患者さんが、本格的な野菜作りをしています。と言っても、もともと農家だったわけでもなく、サラリーマンとして定年まで働いておられました。現在は、動ける時間を畑仕事に費やしておられます。

今回、その様子を取材させてもらい、「私の近況」でご紹介させていただくことにしました。お話を聞かせて頂いたのは京都市内にお住まいの朝加明宜さんです。

 

取材当日は車で迎えに来ていただきました。ご自宅は京都の北部で山を近くに感じましたが、道のところどころにあった「熊の出没に注意」の立て看板には驚きました。京都市内の住宅地で、クマに注意とは!ちなみに、鹿、サル、イノシシは、常連さんのようです。

 

朝加さんのご自宅は結構急な坂で、土地が段々になっており、家の隣、石垣を数段上ると畑があります。朝加さんの仕事場でもあり、憩の場でもあり、それは、奥さんにとっても同じであると感じました。

 

と同時に、友の会京都府支部結成30周年のつどいで、葉牡丹を皆さんに持って来て下さったのを思いだしました。

 

 

 

野菜つくりを始めたきっかけ

  

朝加さんが始めたという訳ではなく、子供の頃に、開墾された土地だそうです。この辺りは雑木林で、そこを切り開いて畑を作ったそうです。

 

 本業は農家ではないので、朝加さんも、周囲の農家の方々と出来るだけ会話をし、教えてもらい、良いものは真似をして野菜の質・味にこだわりを持って育ててきたそうです。

 

 元々勤務されていた会社では、食品の研究などをされていたこともあり、プロ意識と言うのか、味や鮮度にこだわりを持っておられるのが伝わってきました。

 

水はどうしているのか

  

 さて、畑作業で、結構大変なのが水の供給です。野菜を作るには、大量の水がいります。 

川からポンプでくみ上げているそうです。そのためにも、近所の方々との日頃からのコミュニケーションを大切にしているとのことでした。結構、古くからの風習もあり、水のことでも大変だろうなと想像しました。

 

ここで、農業用水としてのため池の話になり、昔はそこで泳いでいたという話から、子供の頃の遊びの話になり、泳げない子供はいなかった…と会話が進む中で、確かに昔は田んぼで遊ぶと野ツボはあるし、蛇はいるし、池には金網の柵などなかった。今から思えば危ないことをしていたのかな…と、しばらくオジサン談話になりました。

 

 

野菜つくりで重要なポイント

  

即座に返ってきた答えが土でした。土には、様々な栄養が含まれています。植物は、土を母体にしている訳で、その土が不健康な状態で栄養分が不足していたら、健康な野菜は育ちません。また、土の中で育つ野菜もあります。ある程度の深さまで、柔らかくなっていないと、大根などは変形します。そして、一度使うとしばらくは、同じ土を使えなくする野菜もあります。代表的なのが茄子です。ウネに番号を付け、セットにしてローテーションで使っていくのだそうです。

 

土作りの強い味方である、小型の耕運機もみせてもらいました。

 

 

どんな野菜を作っているか

 

夏場だと、キュウリ、トマト、シシ唐、トウモロコシ、ピーマン、オクラ、レタス、キャベツ、大根、枝豆。これらが終わると、鍋に出番の白菜、水菜、ネギ、キクナときりがないほど、色々な野菜が出てきて、ちょっと待って、患者なんだから……と、思わずストップをかけたくなるほど、本格的です。

 

そこで、実際に畑に行きましょう!となり、朝加さんから、作業用の帽子を受け取り、ここからは、収穫作業。説明を聞きながら、トウモロコシからもぎだし、トマトは、フルーツトマト、ミニトマト、それに桃太郎だったかな。それぞれ、黄色もあり結構頂きました。

 

ちなみにその場で、トウモロコシの何重にもなった皮をめくると、真っ白な実がぎっしり詰まっていて、思わず顔がほころびました。

  

珍しい野菜を紹介

  

少し悩まれて、四角豆をあげられました。あまり、聞いた事がない豆ですが、マメの切り口の形からこう呼ばれているようです。熱帯地方原産で沖縄では『ウリズン』とも呼ばれているそうです。マメはサラダ、天ぷらや炒め物に利用でき、根塊は油で揚げるとポテトチップスのようになるらしいです。

 

 

 

失敗談やこ まっていること

   

せっかく作った野菜を、勝手に持って行くやつがいる・・・。まぁ、人間ではありません。カラスなどの鳥や蟻やナメクジなどの虫、あるいは小動物。これは、薬やネットなどで対応。一番賢くてやっかいなのが、猿だそうです。そろそろ収穫しようと楽しみにしていた野菜を、まんまと持っていくので、腹が立つのも無理ありません。

 

でも、もし見つけたら、逆に怖いかもしれませんね。民家にまでくるからには、余程空腹なのかもしれません。こんな常連さんも困りますが、もしも、クマが来たら洒落になりませんね。

  

これだけの畑を耕すエネルギーの源と継続できる秘訣は何か

 

まず、自分の体調に合わせて作業する。欲を出して、余計な作業をしたりしない。目的は、家で美味しく、安全な野菜を頂く為で、自分なりに納得のいく野菜を作りたい。例えば、まっすぐで長さの揃ったキュウリより、多少曲がっていても、その辺で売っていない、独特の味を追求したい。

 

 そういった、こだわりがあるから、野菜を作ることが生きがいとして、楽しく続けられる。と、おしゃっていました。

 

 取材と言いながら、本当に心地よい1日を過ごせました。

 

           

 

(文・伊藤 克義)

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自殺を考えたことも・・

 

(K.T)

平成137月頃、夏休みの朝のラジオ体操をしようと思ったら全然できない。運動不足を感じ、また帰るときに自転車に乗るとすぐにこけてしまい、これはおかしいと思い、市の検診で肺がんを受けたが異常はありませんでした。

 

先生に状態を話すと、「僕の専門ではないので専門の先生を紹介します」といわれ、脳神経内科の先生を紹介してもらい診断していただきました。先生からは、「初期のパーキンソン病」といわれました。それから月に一度の検診で治療に入りました。

 

市の保健所に行ってパーキンソン病とはどんな病気なのか相談すると、パーキンソン病についての本を貸してもらいました。

 

その本には、命には別条はないが車椅子生活になり、寝たきりになると書いてありました。

 

主治医にだんだん歩きにくくなる、腰が曲がってきたと相談すると、薬が一錠から二錠になり、日がたつにつれ薬のせいで便秘や眠気がするようになってきました。先生に薬の量を増やしてほしくないと言うと、僕の言うことを聞けと怒られたこともありました。

 

近くの保健所に宇多野病院からパーキンソン病専門の大江田先生に来ていただき問診と治療の仕方を聞きました。それから宇多野病院に1か月入院し、薬の調整と身体の機能の検査、レントゲン、MRIとあらゆる検査をしました。調整後、薬は3分の1に減り、入院中は言語障害、作業療法、精神病のリハビリを受けました。

 

宇多野病院の先生には「今まで処方されていた薬の量が多かったので腰が曲がってきたのではないかな?」と言われました。

 

退院後、洗面所で顔を洗っていると後ろに倒れ、背骨を圧迫骨折したこともありました。

 

今は2か月に一度、宇多野病院の大江田先生を訪ね治療しています。

 

 病気の進行具合、順調に薬が効いている。問題点として、眠れなくなって睡眠薬を飲み続け1年ほどたったが効かなくなってきたり、副作用で身体のバランスがとれなくなってきたので、飲むのをやめると身体のバランスがとれるようになってきた。しかし、眠れないので昼と夜が逆転してきている。鬱状態になってきた。食欲がなくなってきた。食べるのに約2時間もかかる。むせる。しゃべりにくい。動作が鈍い。自殺も考えたことがありました。すべて、治療に行ったとき、大江田先生に相談しています。

 

 リハビリに週23回トレーニングジムに通い自分の体に合わせて疲れない程度にトレーニングをしています。車椅子を引いて趣味のグランドゴルフに行ったり、週に1度コーラスヘ行き発声練習をしています。コーラスはやめようと思っていたが、私に元気をもらっている人が多くいると聞いたので今でも続けています。

 

 現在、薬は、朝夕食後にシンメトレル1錠、ガスモチン1錠、メネシット1.5錠。

 

昼食後にガスモチン1錠、メネシット1.5錠。

 

寝る前にプレゼニドを状況に応じて飲み、週に1度ボナロンを飲んでいます。この薬は少なくとも30分は横になれず水以外の飲食ができません。

 

 

 

 手に力が入らないので、コンピューターで打って原稿にしました。

 

 

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余病に戸惑う

(Y.H) 

私がパーキンソン病と診断されて約5年になります。マドパー朝夕2錠に始まり、今は毎食後と3時の計4錠になりました。

 

 最近午前中は足のふらつきがあります。午後からは薬がよく効いてすいすいと歩けます。とはいっても病状には変化があります。鼻歌も歌いたくなることもあれば、どん底に落ちて夢も希望も無くなってしまうこともしばしばです。

 

 ここ半年ぐらい前から予期しなかった体調不良にさいなまれ、検査を受けました。加齢による内臓下垂でした。子宮、直腸下垂、膀胱脱と耳慣れない病名でした。完治は手術しかないとのことです。薬の力でどうにか生かされている今、とても受け入れがたい診断でした。

 

 手術を受けても再発があるとのことです。手術は簡単なものらしいが、私の場合は神経内科の薬を飲んでいるので少し難しい面もあるらしいです。

 

 簡単な治療法で楽になる方法があるので試してみるようにと、すぐさま処置をしてくださいました。これでずうっとこのまま行ける人もいるので、しばらく試してみませんかと言って下さり、今はとても楽に過ごせています。

 

 下垂の原因はいろいろある中で、加齢と便秘の人がなるらしい。私は便秘で苦しい思いをしていますので、納得して改善策を考えているところです。処方される便秘薬がもう一つ効きませんので、食事のほうで何とか頑張ってみたいと思っています。

 

 病は耐え難いもので、心まで病んでしまいがちです。外部とのつながりも絶えがちで、病と二人連れでは困りますね。

 

 自分の病気は受け入れて、カラオケにいきなさい、と言ってくれた人がいます。今になって少しわかってきたようです。

 

 

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在宅介護

(ゆみちん) 

  私の母は、発病して11年になり、現在は在宅療養中です。起立性低血圧による失神をたびたびおこし、この1年は入退院のくりかえしで、外出も難しく、私も仕事を辞め、介護することとなりました。

 

 3年ほど前に主治医より、今後は他のところで診てもらうようにと言われ、環境と今までのリズムを変えたくなかったので、かなり悩みました。この頃は、買い物も家事もしていたので、環境の変化も大きく影響したのかもしれません。

 

 現在は、大学病院、訪問の先生、訪問看護、訪問リハビリにお世話になっています。

 

 薬は、マドパー5錠、ドプス1錠、フロリネフ1錠、メトリジン2錠、マグミット3錠、タケプロン1錠、スローケー2錠、マリナミン2錠、マイスリー半錠です。

 

 家での生活は、寝たり座椅子に座ったり、ポータブルトイレまでは、はって移動します。できないことも多いですが、まだまだ出来ることもあります。

 

 低血圧以外で困っていることは、胸のドキドキ、足の裏のしびれ、便の調整、頻尿、体がかたくなる等です。お薬だけでは難しいことも多く、マッサージやデイケア等も考えているのですが、なかなか探すのに一苦労です。横のつながりがもっと密にあれば情報も得やすいだろうと思うのですが・・・。 

 

 そんな時、友の会やNPO法人、難病連の方々に問い合わせをし、対応していただいたこと、感謝しています。

 

会報で唯一皆様の情報を得ています。

行事に参加することは難しいですが、今は、あきらめないことが大事だと思っています。

 

 新しい先生にも恵まれ、これからもいろんな方のお力をかりながら、あきらめずに頑張っていこうと思います。

 

 

 

寄稿が少ないということで、今回思い切って応募いたしました。

 

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